馬飼いでも馬のことを分かっているかどうかはその人次第

11・22

最近気付いたのは馬を長年飼っていたとしても決して馬のことを本当に理解しているわけじゃないんだなと思ったこと。

キルギスに来て毎日馬にのるようになった。そこで一番初めに最も苦労したのがウマの感じ方を理解するということだ。

人とは言葉も通じないしウマと通じ合えなければ群れをちゃんと集めてくることもできない。最初の頃は群れを集めて帰ってくるのに4時間はかかっていた。けど、最後の方には1時間ぐらいで集まるようになった。

今まで犬や猫、そういった動物とは彼らが何を感じているか、人の感覚に近いこともあってまだ理解できていたけど、草食動物となると全然よくわかっていなかった。
そういう時にまずするべきなのはウマ同士が群れの中でどういうふうに関わり合っているかよくよく観察すること。
彼らにとって、右から近づくか左から近づくかでも違う反応を示すことがある。
噛みつきに行く時はどういう近づき方をした時だ(正面から来るのか横から来るのか)とか
頭を上げ下げするのはどういう時だとか
軽く鼻を鳴らすのはどんな気分の時なのか
そういうサインをよくよく観察する。
ウマがお互い睨みをきかせあった時の顔なんかはわかりやすい。(おーこわいこわいって感じで面白い。)

それから関わる時はできるだけその言葉を話すようにする。

でも人しかしないことをする時はどんなふうに伝わってるのか感じるのが難しかった。
例えば、鞭を当てる行為とか。

そこからは人間がいかに彼らの感じ方を理解するかどうかにかかっている。

一つ、タイトルのように思った出来事がある。
それは、足の傷を治している時。
ウマが痛がって足をあげるのだがその時に、馬飼いは大きめの声でウマに対して怒鳴ったこと。
また、蹄鉄をつけるときも少し嫌がって足を動かそうとすると同じように怒鳴ったこと。
この出来事で、馬を長年飼ってきたとしてもウマの感じ方を理解してないんだなとすこし失望した。ウマをなんだと思っているんだろう。
あなたの足になって山の上に行ったり、あなたの力になって畑を耕したり、暖をとるための薪を運んだり、ウマを欠かしては生きていけない場所なのにただの労働力だとしか思っていないのだろうか。いたみを与えることでしか理解し得ないと思っているのだろうか。
大声で怒鳴っても、馬は余計に怯えて足を自由にしようと避けようとするばかり。
ここで最も必要なのはウマを安心させることなのに、余計にこわがらせて、余計に怒鳴るというおかしなことをしている。
気づけば私はBrrrr…とか言いながら
足の付け根の横腹とかを軽くさすったり、
足を触ろうと近づいた時点で避けていたので目を覆って後ろの方を見えないようにしたりしていた。すると、明らかに落ち着いて、あ、言葉(サイン)が通じた!と感じた瞬間だった。やっぱり、自分が話しかけた通りに通じる瞬間っていうのは分かる。でも、ウマの言葉がわかってその通りに話しかけたとしても、やっぱり人間であるというところからウマ同士でする反応とは違う反応をすることがある。そこは、ウマがどれぐらい人に慣れているか?にかかっていると思う。

ただ観察するのと、実際に話しかけてみて、通じ合うのとでは楽しさが違う。

剣のウマ(勝手に自分で名前つけた)
トーラット

もう一つ彼らの感覚を理解した瞬間は、ウマに乗っている時の事。
最初の頃はとにかく自分の乗り方がウマに負担をかけるような乗り方になってないか、そればかり気にしていたし、正しいかどうか誰も教えてはくれない。
なぜなら彼らは物心ついた時から(裸)ウマに乗っていて、誰かに教えてもらったのではなく感覚で習ったから、私の乗り方がどう違うのかがよくわからないらしい。教えようがないのだ。

一刻もはやくちゃんと乗れるようになりたかったので、動画などを漁るようにみた。
みてもやっぱり、自分がどういう姿勢で乗っているのか自分では把握しずらいこともあってとにかく、自信がなかった。

モンゴルでは乗れていたのに鎧の位置が違うからか、モンゴルの乗り方は通用しない。しかもモンゴルでは平地なのに対し、ここは山地。斜面をかけたりする。乗り始めて1週間ほどした頃、最初の頃よりは乗れるようになっていたけど
それでもウマはなかなかいうことを聞いてくれなかった。
走って欲しくても走ってくれなかったり。

何がいけないのか分かったのはその2週間後。
ここで乗るように調教された馬は2頭いるのだがいつも私が乗っていない方のウマ(剣のウマ)に乗った時、とても反応が良くて普通に走ったり登ったりできたし、自分の感覚的にも乗れている感じがした。
さらに、2週間ぶりに服を洗濯して、服も変えたこともあって、いつも乗ってるウマ(トーラット)は違う服の匂いになったので違う人と勘違いしたのだろう、
乗った時トーラットの反応が違った。
それで分かった。


自分の乗り方が下手だからなかなかいうことを聞いてくれないのかと思っていたけど、そうじゃなかった。(最初はそうだったのかもしれない)
自信がなかったから、いうことを聞かなくても大丈夫。と思われたのだ。

指示を与えても走らないのは私が乗るのが下手なせいだと思っていたから走らないまま中途半端な状態のまま指示を途中で出すのをやめてたから、ちょっと我慢すれば走らなくていいやってなってたんだ。
大事なのは自分が乗れてるか乗れてないか関係なく、(大事だけども!この場合においては)指示を聞いてくれるまで指示をやめないことが大事だったのだ。。。

一旦分かるようになるとそっからは楽しい。
第一に、キビキビ動いてくれることでウマの群れを集めやすくなるし
すると、こいつできるやつだな、とトーラットも分かって私がこっちに行きたいのは何か訳があるな、みたいな感じで信頼してくれるようになる。
すると、ますますいうことを聞いてくれるようになる。
逆にいうことをきいてくれないときは、足が痛かったりそういう時だけになってくるから、どんどん通じるようになる。
関係が決定的に変わったのはいつものように群れを集めて帰ってきてトーラットを放すとき今日もありがとう。と思ってしばらく側に立ってほっぺたを馬の背に当てた。
ウマってなんて力強くて優しくて大きくて、あったかくて、ただ側にいてくれて、なんて素敵な生き物なんだろう。そんなことを思った。
そしたら次の日今までは手綱を引っ張らないとこなかったのに引っ張らなくても前を歩けばついてくるようになった。(馬飼さんは相変わらず引っ張ってるけど)

トーラットはほんとに頭がいい。
群れを集める時間になると、普段は放してあるのに家の近くにやってきたり、仕事が終わった時に限って自分で勝手に頭絡を外したり、群れから取り残されたウマがいると指示を出さなくても、こっちのウマって思った時にそっちに向かってくれるし。

一緒に山に上がって日が暮れるにつれて山が空が、丘が一面にピンクになるのをただ眺める時間は幸せのほか何者でもなかった。

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