最高の出会いと一年の締めくくり

12月

どっちも全力でやっていつかおかしくなるんじゃないかってくらい、気づいたらのめりこんでた。でも、林業は面白いからやめられない。夜も眠れない。

でも、不思議なことに林業界にのめりこめばのめりこむほど、ある意味で先生を裏切ってるんじゃないかとも思えるようになってきた。

先生には林業界に行ってることを隠しながら(別に悪いことをしているわけでもないのに)何事もなかったかのように大学に行っているという現状があったからだ。
(こんなおもろいことがあったっていうのをシェアできないのは悲しい)

そしてどっちも全力でやって物理的時間が無くなり、精神的に追い詰められていたこともあって、焦りも出てきていた。(悪循環だ…)

大学卒業まじかなのに就職先も決まっていない、もう23歳なのに私は一人前のヤギ飼いでもないし、木こりでもない。いくら畜産大学を出たといっても、机上の空論でしかなく、経済として採算があって成り立つのかのことなどのような、実業は一から勉強しなければいけない。
そうなると、林業の技術を習得するのに3年、自分一人でやっていくのにまた3年くらいかかるとしたら、そのときはもう29歳じゃないか!
人生は短い。もたもたしてられない。明日にも地震が来て死んでしまうかもしれない。
どうしたら早く私の求めている世界が手に入るのだろうか。とりあえず卒業前までにははやく林業のことを知らなきゃ。そんな感じで生き急いでいた。

その最適解を探すあまり、逆に今の今まで就職先は決まらないままだ。別に就職先が決まらないということは屁でもない。自分の好きなことでやっていくということはそういうことなのかもしれないから。

また、研究室での出来事を通して
もう私は誰かを裏切らなければいけないような環境、人の近くには身を置かない。そう決めた。
やりたいことを思いっきりとことんできる場所。そんな場所に自分の身を置こう。(今の場所はわしの言うとおりにやれタイプの場所で、それに対してなんで?と解説を求めただけなのに勝手に怒り出しちゃうような場所)

そんな気持ちで12月に入った。周りから早すぎといわれるようになってようやく自分が早すぎたことに気づいた。ちょっとスローダウンしよう。林業のことは少しお休みして、研究室に集中するモードになった。
毎日朝から晩まで実験した。したけどなんだか上の空だった。けどやるしかない。もっとポイントをついて効率よく。
そんなこんなで12月25日が来た。
そう、25の夜ゼミが終わり次第、冬休みで学校に行かなくてもいいのをいいことに、東京にひとっとびする予定をぶち込んでいたのだ!
目的は山梨県北杜市のビヨンド自然塾。
きっかけはフェイスブックで地域おこし協力隊を募集しているのをひょんな繋がりで見つけたこと。

ビヨンド自然塾の代表、室田さんのやりかたが、私のこんな風だったらいいのにというイメージと似ていて、さらにそれがすでにある形をとってこの世に実現していた。実際に彼に会って話を聞いてみなきゃ。

とりあえず室田さんにこれまであった出来事と、自分は林業がやりたいという方向性で、この先進む道を考えているということを伝え、彼のところにお伺いすることにしていた。

25日の夜、実家について、まるで昨日も普通に実家に帰ったかのようにただいまーと戻る。夜遅かったけど、母はきんぴらごぼうとちょっと残ったおかずを出してくれた。それを前にしたとたん、涙をこらえようとしたのにあふれて止まらなくなって大泣きした。きんぴらごぼうを前に大泣き笑いする私を見て母と妹は笑ったが、
ここにきてようやく自分はあんなに切羽詰まったところでやっていたんだなと自覚した。
毎日おいしいもの作って食べたいのに、その時間さえもなくて、頼る人もいなくて、どんどん余裕がなくなっていたんだ、、、。

26日の朝、ビヨンド自然塾に到着。
ゼミの発表のために学生部屋に泊まり込んで3徹明けで疲れ切っているはずなのになぜか頭がさえる。
私は早速ビヨンド自然塾で現在進行中の、屋根の上に植物が生える、自然と一体型の小屋をつくろうプロジェクトのお手伝いをした。
家の素材はすぐそばにはえている竹藪などの身近なものを使う。
室田さんと作業を進めるうちに彼という人間の面白いところがわかってきた。
めちゃくちゃだがそれでいてなんだかバランスが取れている。めちゃくちゃというのは例えば、家は左右非対称、右の屋根が少し長くて左の屋根が短い。壁が飛び出ていたりしているというようなめちゃくちゃだ。しかしそれでいいのだ。いや、それでいいというよりかは、室田さん的にはそっちの方がいいのだ。
そんなばらばらの状態でどんな風に作業を進めるのかというと、なるほど、その場その場で作業を進めるたびに考えてやればいいだけのことだった。
もとからあった素材の形を生かすような工夫をその場で考え、作り進めていく。
だから設計図はない。あるのは、こんなふうに出来上がったらいいなという大まかな完成形と手段だけで、その手段をどう生かせるが、またそれを完成させるための新しい手段を生み出したりできるかがカギになる。

この作業を通して私は大事なことを思い出した。
何でも自分で考えてやればできる。ということを。遊牧民は車だって自分で直してた。
世界が便利に、複雑になりすぎたために、なんでもマニュアルのようなものがあって、私たちはその通りにすることでその仕組みを動かし続けている。つまりどういう風にすればいいのか自分で考えなくてもいい世界に生きているのだ。
考えて、やれば、できる。言葉でいうと簡単なことのように見えるが、学校でテンプレートを習ってその通りにやるのが正解。という教育をされてきた人たちはなかなかこれがうまくできない人が多いらしい。(私は自分で考えてやれないとしんどくなるタイプ)

さらに彼と話していてもう一つ大事な、面白い気づきを得ることができた。それはお金に関することだ。
最近私はいろんな林業関係者のところに出向くうちに、何をするにもなにかとお金が必要で、そしてそのお金は毎日あくせくして働いてようやく手に入れることができるものだという考えが芽生えていた。それは、林業に従事する者はみなそのように、ときには身を削る思いでなにかを我慢して努力してお金を得てきた人が大半だからだ。
だから、自分が我慢してきたからこそ、頑張らずにお金を手に入れる人が妬ましいし、その人たちとは自分は違う、と思うことで彼らはそれを続けてきた。そんな人たちが林業従事者には多い。(みんな超真面目なんだ:)(別に悪くゆっているわけではない、それも一つの在り方だ。)
そういう考えの人たちに囲まれていると、自分もなぜかそんな、ある意味で卑屈な考えを持つようになっていた。
だから私はその時、世界はそういうものなのか、と、頑張って働いて何とかしてお金を貯めてやるよ、と躍起になっていた。

しかし彼と話すうちに、確かに、働いた分だけの対価を得るというのはお金を得るための一つの方法ではあるが違う方法もあることに気づいた.
なにより、そもそも彼は金銭的な利益は求めず、周りにとってこれがいいなと思うことをやることでお金を介さずとも実現させたいことを実現させていた。
これは私にとって衝撃的な事実だった。何が起きているのか最初は意味が分からなかった。
もっと頭を柔らかくして生きていかなきゃいけないな。
室田さんのやり方の方が不確かで難しそうに見えるが、そんな面白い方法、試してみるかないだろう。
この方法については私の口から言うよりかは、室田さんが発信されているブログを読むか、彼に直接話を聞きに行くと面白いと思う。
(もしかしたら別で記事にするかもしれない)

そして、29日には、ビヨンド自然塾の人たちも協生農法に興味があるということで協力隊とボランティアさんを連れて、私の大好きな山際さんに会いに行った。
山際さんは、以前、協生農法を大々的に実践されていると聞いてごり押しでお伺いしたことのあるところの代表的存在だ。

前日に連絡したにもかかわらず一日の時間を割いてくださって感謝の言葉しかない。
やっぱり実際に実践されているところを見に行くということほど面白いことはないのだ。
私個人的には2度目の訪問になるが約11か月の間にいろんなことが起きていろいろ進化していた。
また、山際さんが合わせたい人がいるとのことで、その人とお昼ご飯を一緒にすることになった。その人は女性の酪農家でケイさんと呼ばれていて、山際さんから私の話をいろいろ耳にしていたらしい。(恐縮です)あったとたん学生の頃の自分を見てるみたいと言われた。
私もこの人は20年後の私だ、と直感で思った。
彼女は私のすべてを見透かすような目で話してくる。私の焦りも、衝動も、考えも、私がこの先経験するであろう困難も。
ちょっと話しただけで2つ3っつ先のやり取りを答えてくるからもうお手上げだ。
私は聞いた。「もし学生の頃の自分に何かアドバイスするとしたらなんですか。」

「急ぐな。それだけだ。」

今の私にドンピシャすぎて言葉も出ない。
でも、急ぐな、ってどうやって??混乱した。
やりたいことをやりた過ぎるがために焦らない方法をも忘れてしまっていた。

その後、今不安に思っているちょっとしたことを聞いたりした。お昼に時間はあっという間にすぎ、そして最後に別れ際にこれだ!とひらめいた質問をした。

「焦りと直感って何が違いますか」
「焦ってるときは直感はこない」

この一言ですべてが腑に落ちた。

ケイさんと出会えたことで、大丈夫だ!と心の底から思えた。なんだこの今までに感じたことのない安心感。

そんなこんなでまたとない最高な年末になった。

今は卒論に専念して、そしたら、森に行こう。

コメントを残す