先生と私のすれ違い ~怒りとは~

先生との毎週のズームミーティングが終わって脳内記者会見が始まる。

先ほどのお気持ちは!?


先々週、コロナの影響で大学が再び出禁になった。
実験が進められない代わりに、卒業論文の目次を作ってきてほしいとのお題を出された。
先生からは特に形式の指定はなく、自宅にあった論文の書き方の本を引っ張り出してきてこんなものかな、と大まかな流れを作った。
それを見せたところ、先生が意図していた形式とは全く違ったらしく、先生は面食らった。
そして、その次に発する言葉がこれだ。
「人の話聞く気あんの?」
喧嘩腰で唐突にこの言葉が出てくる。

目次作ってきてとだけ言って、見せたら頭ごなしに否定される。

そりゃ、突拍子もない、先生が思いつきもしないような間違え方をする私も私だが
それをまるで私が話を聞いていなかったていで怒鳴りつけてくる。

こっちからしたら、あなたがゆっていなかったんでしょうよ。といいかえしたいところだが、

私は本当に話を聞いていないのか、ただ純粋に私は忘れているだけなのか、記憶障害なのか、疑心暗鬼になってしまい、言い返しはしない。

でも論点はそこじゃない。そうじゃない。事実は
先生が伝わったと思っていたことが、私が、先生が意図したのとは違う風に受け取ってしまった。
それだけだ。
わざと違う風に受け取ったわけではないし、本当に本当にただ純粋に先生の言葉をそのように受け取って、それを実行しただけなのに、
「人の話聞く気あんの?」というふうに人格を否定されると、私としては身に覚えがなさ過ぎて、
何をおっしゃってるんだろうこの方は、とうろたえてしまう。
一方、人格の否定は、このすれ違いが起きた本質ではないので、
先生が私のことをそのように定義づけたいならそうしたらいいじゃん。と聞き流している。(もしかしたらこの点における私の態度も、お気に召さないのかもしれない。通常はの人は、人格を否定されると、自分自身の存在を否定された様な気分になって、悲しくなったり怒ったりするが、私は何食わぬ顔をしているからね。だから話を聞いていないように見えるのかもしれない。)

先生が私のことをどのように評価しようと、それは先生の評価なので、私は関係ないし、かまわない。(もちろんいい気分はしない。し、)

この怒鳴りつけられている時間が私にとっては無駄で仕方がない。人によってはアカハラとも捉えられてもおかしくないことを彼はしている。
しかし彼は自分のやっていることは生徒のためになる。正義だ!と信じてやっているから自分の非が見えない。怒鳴りつけている自分は正義なのだ。

彼はなぜ、私のすることにいちいち怒ってくるのだろうか。
それは、彼自身が作り出した、こうでなければならないという縛りに自分自身ががんじがらめになっているからだ。そして、彼自身はそれに縛られていることに気づかず、その縛りを当然のものとして人に押し付けているのだ。だから、その縛りに縛られていない私の行動がいちいち気に障ってイラっとくるのだろう。

ある目の前の「事実」にイラっとした時。
その「事実」が イラっ としているのではなく、
その「事実」をとらえたとき、なぜイラっと感じたか、自分の心をとことん観察しきる

イラっとする事実が問題なのではなく
その事実をイラっととらえた自分の心のほうにフォーカスする。

そうすることで、事実を事実だけでとらえることができるようになり、変な人格否定、存在否定、否定をしなくて済むようになる。事実は存在するだけで、否定するのは人間の思考がすることだ。

そして、人の怒りは他人が収めることはできないのだ。
その人の怒りはその人が自分で解決するしかないのだ。

一方で、このように考えることもできる。
先生が今まで怒りっぽかったのは怒りっぽいことによってメリットがあったからだ。
どのようなメリットかというと、
自分の理解できない相手を怒りで脅すことによって服従させることができるから。
そして実際に成功体験がある。
実際に私の同じ研究室の仲間は、どうしたら先生に怒られないかを常に、第一優先に考えながら毎週のミーティングしてるもん。と言っていた。(実際にそれほど先生は怖い、恐ろしい存在だ。私にとっても。でも私には脅しは通用しない。私のどういうところが間違っていたか、なぜこれがいけないのか、いちいち説明して納得させてくれ!そして先生という職業はそれを教えるのが仕事なのではないのか?)
そんな脅しは今じゃただのハラスメントでこれからは脅しが通用しない世界になる。

そして今週のゼミ。
また人格を否定される。そして冒頭の脳内記者会見。
悲しいよ!悲しいに決まってるじゃん!
このデータ見せたら先生喜ぶだろうなと思って持っていったら「人の話聞く気あんの?」と。

やっぱり私のほうがおかしいのだろうか。いやいや、脅されてるな、私。これが洗脳というやつか。

というのも、先週私はどうしても外せない私用でゼミに参加することができなかった。
その、私のいない日に、私に作ってほしかった目次を、先生が作って、このような目次をみんなに作ってほしいというレクチャーをしたらしい。(肝心の私がいないタイミングの悪さよ)
それを知ったのがミーティングの前日の夜。

初回の目次から、先輩方の卒論を踏まえてもう一度作り直してきたものがあったが、これだと先生のお気に召さないと思い、もう一つ目次を慌てて作った。

その目次を見せたら、自分がレクチャーで作ったものとは違うことから、彼は次の言葉を発した。
「その目次は俺を否定してるの?」
は?なんでそうなるの?違うだけやん。。。
これにはさすがに呆れて否定してないですって強く言い返してしまったけど、強く言い返してしまうと、先生は余計に激昂してしまった。
あの時私に、聞くべきはなせこのような目次を作ったのか、とかであるべきなのに、
なぜ勝手に変な怒り方をして時間を無駄にするのだろう。

先々週に引き続きタイミングの悪さが重なり、先生をイライラさせてばかりだ。
私は毛頭そんなつもりはないのに、先生が勝手にいらいらしているだけなのだが。
しかし、そのイライラは先生自身で解決するしかない。

もしかしたら、この「タイミングの悪さ」っていうのは必然で、イライラ事件が起きるのは先生にそれに気付いてほしいからなのかも。早くそのことに気づいてほしいよ。

さて、

もうひと踏ん張り先生のために頑張ってみるか。

コメントを残す